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松本哲也プロフィール

「仕事とは人を組むこと」

幼少の頃の私の写真です
私の父親は、15〜24歳まで大工の見習いとして地元の工務店に弟子入りし、その後独立して「松本建設」を立ち上げました。
私は松本家の長男として昭和38年佐賀県唐津市に生まれてきました。

小さいころ、会社勤務の家とは違い棟梁の家は少し変わっていました。
弟子さん(住み込みの大工見習い)がいつも1人はいました。父、母、祖母、兄弟4人、8人家族。その上、2〜3日おきには大工さん、業者さんたちを家に呼び、お酒を飲んでいたのを覚えています。
そりゃ〜うるさく、中には酒癖が悪い人もいて はよ、かえらっさんかな〜」といつも思っていました。
 
でも、どんなに酒を飲んでも、次の朝は早く起き、大きい茶碗で大盛りご飯をペロリと食べて仕事に行く父。
「朝めしも食いきらんとが、なんば仕事ばしきるか!」と弟子さんに言っていたのを覚えています。

父の言葉でもう1つ「ようしゃべるもんは、さばけん・仕事は間違える、だまってするもんが、仕事がはようして、きれいか!」とよく言っていたことを覚えています。

まあ、考えてみると昔の酒のみの場が自然と現場の打合わせ、仕事の段取りをすることにつながっていたと思えます。
ソフトボールをやっていた頃の写真です
そんな環境の中、小学生の時からソフトボールをしていて、県大会で準優勝したこともあります。集まって練習する以外は、大工さんが帰ってくるのを待って、キャッチボールを付き合ってもらっていました。

職人さんと一緒にいる機会が多かったので、おおぴらげで、人のいい九州男児に育つだろうと思われがちですが、性格は几帳面で神経質でした。
 
私の家は、玄関の戸をあけると土間があり、8人×3足=24足の靴がばらばらになっているのを1日に2回はきちんと並べて整頓しないと気がすまない子供でした(今も)。

また、偶然にもネタを考えてる時に事務所の隣の部屋で本棚を発見。小学生の時造ったもので、生まれて初めての作り物だと思います。30年も前に作った記憶がおもいだされ鳥肌がたちました(自分が造った家を見て何十年後に感動したい)。
幼少の頃造った本棚です
高校進学の時、中学で野球をやっていたので、野球が強い高校に行きたい気持ちと、建築科があるのが当時、佐賀工業でしたので、唐津から1時間半かかる県立佐賀工業に進み、当然のこと建築の勉強もするつもりでしたが、野球 (当時部員数100人以上)づけの毎日を過ごすこととなり建築の勉強方は、殆ど、やっていませんでした。(4年後に建築士の試験を受ける時後悔することとなりました。)
 
又進路を決める時期が来て、「大工になりたい・いやだ」と考えることもなく建築科へ進んだことで自然にとゆうか、普通に、大工の弟子入りを決めたのです。

  そして、付合がある大川市の材木店からの紹介を頂福岡県は八女市 中嶋工務店に就職することに。4年間みっちり「大工道」を仕込まれました。
(後から父が京都の宮大工さんの所に弟子入りをお願いしていたが廃業されたからしかたないな・・・とポツリ)

弟子の時には、もちろん昔ながらの流儀があり、義理・人情の世界というか、ものは言わず、黙って言われた仕事をこなすだげ  言われた通りにしたつもりでも「違うだろうが」といわれたり、怒られたり、毎日が修業だと思うことで、のりきることができたと思います。

今だからいえることは、内弟子に入る良さは、1つのことに集中できます。

家を建てることに関してはもちろん、何においても一から自分自身で考えるようになり、のみこみがものすごく早くなるような気がします。
目で見て覚え、先輩たちに聞いて覚え、頭の中で覚え、それだけ集中もでき、熱中できるのです。
そして腕を磨き精神を育て行き「お大工さん」と言われるように頑張れるのです。
(ちなみに職種の中で「お」を付けて言われるのは、お医者さん・お坊さん・お大工さん、今は、「お」は付けませんが、お医者さんは(生きる為)・お坊さんは(死)・お大工さんはその間に挟まれた嬉しくなるような仕事だと)

 弟子の4年間には、もちろんエピソードもありその1つを紹介しますと、1月の雪が降った日現場へ行き瓦の上にあるどうぶちをとりに行った時のことです、滑るかな予感はしたんですが、
 
「よか、よか、大丈夫。怪我したこともなかけん。」

案の定 足を滑らせ頭の方からどぶ川までいっきに滑り落ちることとなりました。
下から見上げると高く5mほどもはありましたが、運のいいことに、かすり傷もせず助かりました。どぶ川まで落ちたので寒くて着替えだけはすませ、そのまま大工仕事を続けました。
(本当はあっちこっち痛かったんですよ)

 なぜ!だれも「休んどけ」と、いってくれなかったのかと・・・・・・・。
すみさし
もう1つ、夏場、仕事が終わり、疲れていて食欲がない時期には走って1分の酒屋さんへ行き、缶ビールを飲みほし(何秒間かで一気飲み)、帰りもまた走って戻り 汗ビッショリで夕食を食べていました。

 その為か、高校生の時65kgだった体重が4年間で78kgまで増えることとなり、大工が性に合うのか?、それともよほど高校時代の野球の練習がきつすぎたのか?住込みで働くこと・大工の技・精神
面・人とのつながり・いろんな経験をすることで役に立つこととなりました。

4年間の弟子入りも終わり中嶋工務店の皆さんには心より感謝しています。
(弟子入り1年目から墨付けに使う すみさし=えんぴつを毎年12月31日に作り続けています)

22歳で唐津に戻り、松本建設に入社。それからというと大工の仕事が好きで「気合が入り」30歳頃までは、殆ど大工職人として働いていました。
勿論失敗もあり、大工の仕事に はまりすぎて周りが見えなくなっていました。仕事がきれいにできて、さばけたら(早くできたら)良い職人だ と、思いこみ自己満足に浸っていました。
 
『他の大工はなぜさばけないのか』

仕事も自分が一番良くできる・まじめで腕にも自信はあり(自信過剰になっていた)、結果、人を寄せ付けないオーラを出していた様です。(空地があり、五重塔を造ろうかと本気で考えたこともありました。)

そんな時、20年以上勤めていた大工さんが「辞める」と言われたのです。その後にも二人の大工さんが辞めていきました。考えさせられる出来事となりました。
31歳の結婚を期に大工中心の仕事から、設計、見積もり、管理等、少しづつは変わってはきましたが、性格の方も少しづつだと思いますが、まーるくなってきたように、自分では思うのですが・・・。

このころ(96年)は、黙っていても父の今まで積上げてきたお客さん、OBさんの紹介、OBさん宅のリフォーム等で「営業なし」でやっていけました。でも、何か足らないな「私が想う家・お客さんに満足していただける家」を建てて来たのかな、と。偶然にも紹介され高断熱、高気密のスーパーウォール(SW) 工法と出会い、取り入れることに決めました。これで松本建設の特徴もできあがり、どんどん仕事も増えていくだろうと思っていました。
えび束
しかし、思っていたような結果は出ず、バブル崩壊とともに坪単価は安い方へ向かうようになり、SW工法では坪単価が5〜6万上がっていくため頼む人がいなくなりました。現場見学会もたまあにするだけ・営業はしない・自社のパンフレットもなしで、うまく行くはずもありませんでした。
(よその工務店さんはどんどんSW工法で受注しているのに、なぜ・・・・)

97年、気が付くと昔の家の造り方で家を建てていました。

縁桁(杉磨き丸太)を使ったり、違い棚の間にあるえび束を彫ったり、大黒柱を建て、漆喰を塗り、壁に板。職人の仕事を見せる用になっていました。

このころから地元でもプレカット工法(構造材工場製材)がはやりだし墨付けができない、手加工もできない、そんな時代がすぐ訪れると予感させるかのようにあっという間に普及していきました。
誕生祝いの「ケヤキ」
私達が造る家も予算の都合上どうしても合わない時には、お願いしていますが、手刻みによる「気持ち」の入った家造りを続て行きたいと思っています。

木に関わる仕事でもあり、木が好きだったので、一人目の子供が生まれた時から誕生祝いとして敷地内に「ケヤキ」を植えています、続けること4本 ケヤキ―桜―屋久杉―月桂樹の順に、すくすくと成長している所で子供達同様楽しみにしている所です。
 
もう1つ、夏場の暑い時、子供を連れて出かける時涼しい場所はないだろうかと、想いたったのが木を見に行くきっかけでした。気分転換には、もってこいの場所となり「巨樹、巨木を見に行く」ようになりました。
縄文杉と私
佐賀県では、県の木に指定されている「楠の木」川古のクスや武雄の大楠、など、国内あちこちに巨樹、巨木といわれる木が沢山残っています。

 木に癒し効果があるのはご存知だと思いますが、巨樹、巨木の癒し効果はすごいのです。その場所に行くまでは苦労しますが、いろんな雰囲気にも出会えます、なんでこんなにでかいのかと考えてしまいます。皆さんの近くにもあるんではないでしょうかね?
 
巨樹・巨木を見に行くと、共生することの大事さを山や森を歩くことで又、見ることで感じることができます。難しいことは分からないんですがとにかく森はすごいんです!(林=植林された場所)柱用に四角に製材した柱も「木は生きている」と言われますが、やはりそのままの姿が本当の木のエネルギーをもっているような気がしてなりません。

山で育ったそのままの姿で家の中心に大黒柱として立ててあげたい―
1本の木の立姿にこだわりを持ちたいそんな気持ちになりました。

04年から製品に惚れ込んで使うようになった遮熱材があります。
断熱材は知っているけど、遮熱材って何?とよく聞かれます。簡単に言うと、今までの断熱材と同じように家の周りを断熱してくれる材料と考えてください。これが新エネルギーとしてすばらしい性能を発揮してくれます。
CO2、原油削減につながる材料として、環境省から助成され、某コンビニに使用されるようになりました。
電力を大幅にカットしてくれる材料として、国が認めたからです。時代は、断熱材から遮熱材に移行し始めたんではないでしょうか。


まだまだ、日本の住宅の工法にしても、何が本当に正しいのか、結論はでていないと思います。時代の流れ、環境、色んな要素が入り込み10年、20年後結論づけるものが出来上がるのでしょうか。

そんな中、私達は、自分の考えの元、信念、使命感を持って最後まで造り続けます。

「仕事とは人を組むこと」

西岡常一(法隆寺金堂・薬師寺金堂などの復興や再建)

 最後の宮大工棟梁さんの言葉が一番のお気に入りです。
 

 
松本哲也
松本建設 松本哲也です。

私は大工見習いとして建築業界に入りました。
建築の面白いところは何と言っても奥が深いところです。
 かれこれ30年近くこの業界で仕事をしていますが、未だに知らないこと、新しい発見の連続です。

とくに最近は新しい工法・素材の研究が進み、どんどん新技術が開発されています。

 そんな中から、

『何が優れているのか?どんな欠点があるのか?コストとの比較、耐久性は?・・・』

と考え出すと大変です。

建築業に携わっている私でさえこんなものですから、家づくりをお考えの皆さんはもっと大変ではないでしょうか?

皆さんの不安やギモン、これってどうなの?とか、プロの目からの意見が欲しい、というご質問や、私たちへのメッセージ等がありましたら、下のフォームにご記入の上送って下さい。
 全てに答えられるかどうかはわかりませんが、知らないことはなるべく調べてお返事するようにします。
『欠陥住宅を掴まない新13の防御策』
仕事をしながらのお返事になりますから、少々時間が掛かるかも知れませんが、私が責任を持って御返事させて頂きます!

御意見を頂けた方には、住宅建築アドバイザーである菅原氏の書かれたガイドブック、

『欠陥住宅を掴まない新13の防御策』

をお送りさせて頂きます。

 皆さんのご意見、ご質問をお待ちしています!
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