唐津の偉人!棟梁・吉田吉次郎 (その2)自宅訪問
吉田家とはご縁がありまして、リフォーム工事で私自身も20代前半だったと思いますが大工の職人としてお世話になった事があります。父親の代から50年近くお付合いをさせて頂いていると感謝しています。 今回は、4月の旧高取邸の一般公開日前に吉田家を訪れた時に写真撮影や松本建設のホームページへの掲載なども了解を頂、120年前に造られたとは思われないほど大工の技が光、1部の写真を載せることにしました。 お家の方から伺ったのですが、上と下の彫刻の欄間は(写真)、?鯉の滝登り? 勿論、吉田吉次郎の手づくりだそうです。 |
和室と和室の境に作る欄間(ランマ)と言われてる彫刻です。 前は、あたりまえ様に作っていたのですが、今は殆ど作らなくなってしまいました。 | |
吉田氏が書かれた図面や姿図・見積書など沢山見せて頂きました。 | |
この写真も欄間です。 中に彫られているのは、?刀の鍔(つば)の部分をイメージしたのではないかと思っています? | |
床の間の違い棚の上、 天袋の襖の絵です。 とても綺麗で雰囲気がよかったので写しました。 ↓↓↓玄関の天井には、杉板の柾目をデザインよく配置してあります。 興味があるのは、中央より右上あたりに残っている手油と思われる黒ずんだ所です。 | |
この作りから言って天井面に触るのは大工さんだけと創造されますが、吉田氏の手のあとかどうか分かりませんが面白い物を発見しました。今の家だと後から手あかが出てくると嫌な思いをされますが、残っていて嬉しいことも。 ・・・考えてしまいますよ、普通の人と有名な人・・・。 |
唐津の偉人!棟梁・吉田吉次郎 (その1)道具箱
今から5年ほど前に、松本建設のOBさんから、「うちのじいちゃんが使っていた道具箱ばってん、いるならやるよ」と大工道具を入れる道具箱を譲受けたのが、きっかけです。ぱっと見には、汚れていて、何の使い道もない箱です。よう捨てんで取っていたものか?父親にも驚かされています。
父親が言うには、「知らん人の道具箱ばってん、ただ捨てきらんだっただけ」と言うのです。
その中からは、作りかけの のみのえや釘袋と思える皮のベルト?筆返しの切残りやケビキなどが、出てきました。それらを市役所の方から「高取邸に棟梁・吉田吉次郎のブースを作り 展示する」ので、お借り出来ないかと。今は、国指定重要文化財・旧高取邸へお貸ししておりますが・・・・・戻ってくるかどうか気になっています?
数回に分けて吉田吉次郎さんを特集していきたいと思いますが、
棟梁・吉田吉次郎さんの紹介から始めたいと思います。
(1855~1926) 明治中頃~大正の唐津地域の筆頭棟梁として、
旧高取邸、旧唐津銀行、旧唐津小学校、旧三菱合資会社唐津支店、
120年前の家に今も居住しておられる個人の住宅など、多くの建築物に関った。
そして日本の建築学の基礎を築き、社会に信頼される建築を目指した、日本人最初の建築家 辰野金吾氏とは、偶然にも2~3軒隣に住む隣組の中(唐津市坊主町)設計氏と棟梁のパートナーとして、いくつもの建物を造って来られたようです。
私の自宅からも歩いて2~3分の所に住んでおられたこともあり、辰野金吾氏や吉田吉次郎氏には、とても興味を持っています。 ・・・・・・次回へ。
父親が言うには、「知らん人の道具箱ばってん、ただ捨てきらんだっただけ」と言うのです。
その中からは、作りかけの のみのえや釘袋と思える皮のベルト?筆返しの切残りやケビキなどが、出てきました。それらを市役所の方から「高取邸に棟梁・吉田吉次郎のブースを作り 展示する」ので、お借り出来ないかと。今は、国指定重要文化財・旧高取邸へお貸ししておりますが・・・・・戻ってくるかどうか気になっています?
数回に分けて吉田吉次郎さんを特集していきたいと思いますが、
棟梁・吉田吉次郎さんの紹介から始めたいと思います。
(1855~1926) 明治中頃~大正の唐津地域の筆頭棟梁として、
旧高取邸、旧唐津銀行、旧唐津小学校、旧三菱合資会社唐津支店、
120年前の家に今も居住しておられる個人の住宅など、多くの建築物に関った。
そして日本の建築学の基礎を築き、社会に信頼される建築を目指した、日本人最初の建築家 辰野金吾氏とは、偶然にも2~3軒隣に住む隣組の中(唐津市坊主町)設計氏と棟梁のパートナーとして、いくつもの建物を造って来られたようです。
私の自宅からも歩いて2~3分の所に住んでおられたこともあり、辰野金吾氏や吉田吉次郎氏には、とても興味を持っています。 ・・・・・・次回へ。