唐津の偉人!棟梁・吉田吉次郎 (その1)道具箱
今から5年ほど前に、松本建設のOBさんから、「うちのじいちゃんが使っていた道具箱ばってん、いるならやるよ」と大工道具を入れる道具箱を譲受けたのが、きっかけです。ぱっと見には、汚れていて、何の使い道もない箱です。よう捨てんで取っていたものか?父親にも驚かされています。
父親が言うには、「知らん人の道具箱ばってん、ただ捨てきらんだっただけ」と言うのです。
その中からは、作りかけの のみのえや釘袋と思える皮のベルト?筆返しの切残りやケビキなどが、出てきました。それらを市役所の方から「高取邸に棟梁・吉田吉次郎のブースを作り 展示する」ので、お借り出来ないかと。今は、国指定重要文化財・旧高取邸へお貸ししておりますが・・・・・戻ってくるかどうか気になっています?
数回に分けて吉田吉次郎さんを特集していきたいと思いますが、
棟梁・吉田吉次郎さんの紹介から始めたいと思います。
(1855~1926) 明治中頃~大正の唐津地域の筆頭棟梁として、
旧高取邸、旧唐津銀行、旧唐津小学校、旧三菱合資会社唐津支店、
120年前の家に今も居住しておられる個人の住宅など、多くの建築物に関った。
そして日本の建築学の基礎を築き、社会に信頼される建築を目指した、日本人最初の建築家 辰野金吾氏とは、偶然にも2~3軒隣に住む隣組の中(唐津市坊主町)設計氏と棟梁のパートナーとして、いくつもの建物を造って来られたようです。
私の自宅からも歩いて2~3分の所に住んでおられたこともあり、辰野金吾氏や吉田吉次郎氏には、とても興味を持っています。 ・・・・・・次回へ。
父親が言うには、「知らん人の道具箱ばってん、ただ捨てきらんだっただけ」と言うのです。
その中からは、作りかけの のみのえや釘袋と思える皮のベルト?筆返しの切残りやケビキなどが、出てきました。それらを市役所の方から「高取邸に棟梁・吉田吉次郎のブースを作り 展示する」ので、お借り出来ないかと。今は、国指定重要文化財・旧高取邸へお貸ししておりますが・・・・・戻ってくるかどうか気になっています?
数回に分けて吉田吉次郎さんを特集していきたいと思いますが、
棟梁・吉田吉次郎さんの紹介から始めたいと思います。
(1855~1926) 明治中頃~大正の唐津地域の筆頭棟梁として、
旧高取邸、旧唐津銀行、旧唐津小学校、旧三菱合資会社唐津支店、
120年前の家に今も居住しておられる個人の住宅など、多くの建築物に関った。
そして日本の建築学の基礎を築き、社会に信頼される建築を目指した、日本人最初の建築家 辰野金吾氏とは、偶然にも2~3軒隣に住む隣組の中(唐津市坊主町)設計氏と棟梁のパートナーとして、いくつもの建物を造って来られたようです。
私の自宅からも歩いて2~3分の所に住んでおられたこともあり、辰野金吾氏や吉田吉次郎氏には、とても興味を持っています。 ・・・・・・次回へ。
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