唐津・北波多窯! 施主=西川様(窯元)のこだわり
漆喰の壁の中に、丸い窓を形どり黒竹を使った梅の花を造作しています。↑↑階段を登り上がったところには自ら捜し求められてきた高級感ただようステンドグラスをはめ込み背中からは電球色でライトアップをして見ました。↓↓↓北波多窯 窯元の作品です。トイレから出た所にお手洗用にとボウル(洗面器)を古唐津の不陰気で作られています。 | |
リビングにも明るめのステンドグラスや引分の障子。 障子の向こうには緑がいっぱいです。 写真で1枚1枚見るより実際にご覧頂いて不陰気をあじわって貰いたいそんな気持ちです。 | |
新築工事の現場中継!
大黒柱に上框(アガリカマチ)をを取付けています。 ↑ 敷居の造作中 ↓↓↓ キラキラ光っているのが、 遮熱材の断熱材=リフレクティックスです。 | |
↑↑↑フローリングを張っている所です。 ↑↑↑敷居の穴を柱に掘っています。 ↓↓↓ トイレの天井=竿天井と杉板 ↓↓↓ポーチ柱の加工中です。 | |
丸桁を取付けた所です。 |
鉄筋コンクリート造(RC)のリフォームは結露を防げるのか?
工事前トイレ写真です。部分的にクロスは剥げかかり 壁や床は湿りけがあります。
築30年の鉄筋コンクリートの2階建ての一般住宅なんですが、壁のコンクリートの厚み150mmもあるのにトイレや廊下など湿気がこもりやすい場所では、室内の壁や床下には結露が発生しています。ものすごい料の断熱材がでまわっておりますが、今でも施工の仕方などたいして変わっていないようです。今回どう施工するかで話合いを進めているのですが、鉄筋コンクリート造のリフォーム工事なんですが、結露を防ぐのはかなり難しい事と思っております。 | |
クロスを剥いでも下地の白い紙が残ることが多いのですが、とがったコテを使い時間は掛かるのですが丁寧に剥ぎ取るしか方法はありません。 | |
下地塗りが終ると乾くのを数日待ってから | 仕上げ作業の漆喰塗りを始めます。 |
外構工事
玄関横と駐車場 境にあるガーデニング。 | 車椅子対応の玄関入口までのスロープ。 |
小学生の子供さんの 手形やビー玉・ 小石でとんぼの形に作ってもらうなど、一生の思い出にと毎日通る玄関前の壁面に作って見ました。 | |
枕木を使って造作中 | |
石梁と枕木を使い道路際の作業中。 | |
外構工事の完成です。 |
北波多窯!新築工事中
お世話に成っています工事中の御施主さんをご紹介します。
『 北波多窯 (窯主) ~唐津焼について~
唐津焼の起こりは室町中期と云われ岸岳六古窯を中心に始められたとされています。
桃山期に入りますと茶の流行と豊臣秀吉の朝鮮戦争が起こり諸国の大名を初め、軍勢が肥前名護屋城近郊に陣を張って、その数は三十万とも云われる人々が集まり、名護屋・呼子近郊は殷賑を極めました。唐津焼はこれらの需要に応えるため肥前の国一帯に二百基から三百基の窯が築かれて大いに栄えました。
私はこの頃の古唐津黄金時代の焼物に憧れて、この道に天職を見付けて北波多古窯群の発祥の地北波多村(現在の唐津市北波多)に窯を開いて古き陶人の魂を基本として、また自分の技能を力の限り務める所存です。
皆様の御鞭撻と御叱咤を奉り何卒よろしくお願い申し上げます。 西川弘敏 』
『 北波多窯 (窯主) ~唐津焼について~
唐津焼の起こりは室町中期と云われ岸岳六古窯を中心に始められたとされています。
桃山期に入りますと茶の流行と豊臣秀吉の朝鮮戦争が起こり諸国の大名を初め、軍勢が肥前名護屋城近郊に陣を張って、その数は三十万とも云われる人々が集まり、名護屋・呼子近郊は殷賑を極めました。唐津焼はこれらの需要に応えるため肥前の国一帯に二百基から三百基の窯が築かれて大いに栄えました。
私はこの頃の古唐津黄金時代の焼物に憧れて、この道に天職を見付けて北波多古窯群の発祥の地北波多村(現在の唐津市北波多)に窯を開いて古き陶人の魂を基本として、また自分の技能を力の限り務める所存です。
皆様の御鞭撻と御叱咤を奉り何卒よろしくお願い申し上げます。 西川弘敏 』
詳しいことは『北波多窯』で御検索下さい。